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2007年09月29日

新興株市場の上場審査緩和提言へ・経産省、活性化策検討

元の記事はこちらを参照

IT関連企業の上場先としては、いわゆる新興市場が主になるのですが、その新興市場の上場審査を緩めることで、失墜した新興市場の信頼を取り戻し、ベンチャー企業の成長を後押しし、活性化を促せるとの目論見で、研究会を発足との事です。

株価は、市場を反映して会社の資産価値に繋がるものですが、「失墜」とは、まさに株価の下落で、市場が新興市場を嫌って、資金が入ってこないのです。

新興市場のIT関連株で、公開後の運用で利益を得られた投資家が、果たしてどのくらい存在したのか。市場の信頼失墜の理由として、ライブドアショックが明記されていますけれども、それが果たして今現在までの評価にまで、ずっと影響を与えているのでしょうか。

それは違うでしょ・と、私は思います。企業に成長の兆しがあれば、必ず市場は反応します。少なくとも、短期投資目的で利ざやを稼ごうとするならば、間違いなく買い気配の反応があるはずです。そして、信用と信頼感があれば、株式を長期運用しようとする人も出ますし、取引も活発になります。

ということは、現在の状況を見る限り、市場は新興市場に「失望」しており、投資価値を見出していない・これまで果てしなく損をさせられた新興市場に浮かれている状況ではない・と考えるのが普通です。

そこに、上場審査を緩和させたらどうなるか。それこそ、IPOのみを狙う投資の動きに拍車が掛かります。公開日に株を入手したら即高値で売却する、その後は持った人が損切り・損切り・損切り…、一番最後の人がジョーカーを持っている状態です。これでは、もう投資ではなくて投機です。また、創業者利益を確保した何年か後に上場廃止という企業も、これから出てくるかもしれません。

株式は本来、資金を集め易くして企業の創出や成長を助けるのが目的ですが、果たして、資金を集めた後に成長していくような企業が本当に上場しているのか。今の新興市場で取り扱われている銘柄は、どういう状態にあるのか。

審査の緩和は、今の失墜の状況を上回る場当たり的な上場を増やしてしまい、本来の成長を妨げるような気がしてなりません。そして、内外の投資家達は経験を積み、トレンドも見てきているためにずっと賢くなっています。魅力・信頼の無いマーケットに、軽々しく資本投下はしないでしょう。

ベンチャーと言いますけれども、ベンチャーで終わってしまう企業では、一時の金の流れを創出したに過ぎません。企業は社会への貢献が主たる役目ですが、その社会というのは「投資マーケット」だけでしょうか?

上場基準が厳しければ、発展性と展望のある、本当に企業を成長させていきたい経営者がそこを目指すのではないでしょうか。長期に渡って市場の評価を得られる企業、そういう企業にこそ投資価値があると私は思うのですが…

2008年02月12日

論理学で頭の体操

ITとは直接関係無いですが、「言葉のトリック」「引き合いに出されるデータ」が、全く異なる結論めいたものを導き出す例と言うのは実生活にもあります。そこで、今回は少し趣向を変えて、有名な詭弁の話をしてみます。

男3人が、一泊30ドルの宿に10ドルずつ出して泊まった。翌日、店主が25ドルだったことに気づき従業員に5ドル返してくるよう命じた。しかし従業員は2ドルを懐にしまい、3ドルだけ男達に返した。男達は1人9ドル(計27ドル)出して泊まったことになるが、従業員の2ドルと足しても29ドルしかない。残り1ドルはどこに行ったのか?

さてさて。「あれ?」と思った人は、先を読む前に少し考えてみてください。

結論は、「どこにも消えていない」です。ざっとさらってみましょう。

まず、男達は30$(10×3)を払いました。
そして、3$返ってきましたので、3人で27$(10×3-3)の支払いになりました。支払いの中には、実際は25$で済むところ従業員がくすねた2$が含まれています。このことをわからなくさせるのが、この文章の肝です。

「男達は1人9ドル(計27ドル)出して泊まったことになるが」

という文章で、まず27$を「宿泊料金」として思い込ませます。更に、

「従業員の2ドルと足しても」

と、あたかも2$を別の出費のように書いて、従業員の2$が30$の中からの独立した出費と思い込ませます。何も考えず文章にリードされるままに、「えーと、最初に30$払ったうちの、ホテルに27$払ってて、従業員に2$とられて…」っていう風に、自然にさらっと読まされてしまうんです。

(30$の宿泊代 - 3$の返金)=宿代27$ + 従業員の2$ = 29$ ??

という計算は間違いで、本当は

30$の宿泊代 - (3$の返金 + 従業員の2$) = 25$の宿泊代

になりますね。この文章の更にうまいところは、「額面が微妙」なんです。同じ文章を、金額を変えてみましょう。

男3人が、一泊30ドルの宿に10ドルずつ出して泊まった。翌日、店主が6ドルだったことに気づき従業員に24ドル返してくるよう命じた。しかし従業員は21ドルを懐にしまい、3ドルを男達に返した。男達は1人9ドル(計27ドル)出して泊まったことになるが、従業員の21ドルと足すと48ドルある。

これだと、文章そのものに疑念を抱くし、おかしいのが明らかですね。「21$足すっていったいなんの計算だ?」と言う疑問がはっきりしてきます。

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いくつも仕掛けられた、思い込みを起こさせるポイント、最初の例文は恐ろしく頭のいい文章だと思いませんか?かなり多くの人が、「あれ?なんでだろ?」と引っ掛かるのではないでしょうか。これは詭弁の一種だそうですが、その中でも高度なトリックだと思います。

では詭弁と言えば、IT関連でありそうな、こんな文はいかがでしょう(※フィクションです)。

それではお時間を頂戴いたしまして、当社の業務概要についてご紹介させて頂きます。まず基礎技術ですが、データベース技術に精通しておりますので、当然ながらサーバ技術にも強いと申し上げられます。また、ホームページ制作については、先日納品させて頂いた企業様から過大な評価を頂きましたので、他の企業様からもまた同様であることに疑う余地はないと存じます。

続きまして、運営管理業務についてでございますが、プロジェクトマネジメントにおいて確実に結果を出せるという点につきまして、システム管理ノウハウで高名な某誌への広告出稿実績に示されるとおり、ご信頼を頂けるものでございます。

当社のマネジメントにおいて、先般、若干の納期遅れが生じたことへのご指摘がございましたが、多くの企業で納品期日に間に合わない例も多々あるのが現実的な状況となっておりますし、また当社では、当該プロジェクトマネジメント遅延の端的な原因がどうであるかというよりも、むしろ全体レベルでの複合要因として認識できると考えております。

さて、最後になりますが、当社事業活動におきまして、多くのお客様への提案を行ってまいりまして、お客様とのお取引を頂戴しております。この結果こそ、当社の信頼を表わしているものでございますから、当社をパートナーとしてお選び頂かない理由を探すのは難しいのではないかと存じます。

本日はプレゼンテーションに参加できまして、光栄です。

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上の文章に「ウソ」は全く無いと仮定して、どのあたりにツッコミどころを感じたでしょうか…。

2008年03月13日

e-taxで確定申告

期末は何かと忙しいものです。とりわけ今、多くの方が忙しくされているのは、おそらく確定申告ではないでしょうか。さて、昨年から導入されたe-taxによる確定申告、当方では昨年はe-taxの申込みだけしていて都合で出来なかったのですが、今年の確定申告はe-taxでやってみました。そのやり方や経緯を少し書いて見ます。それと、IT関連の見地からも少し評価してみます。

まず、役所に行って「住民基本台帳カード」をもらってきます。私の居住地では、トータル1,000円で発行されました。こちらは予約も何も要らないので、免許証を持って役所に行き、すぐに受け取ることが出来ます。発行してもらう際に暗証番号やら色々と入力させられますが、この暗証は「このカード自体の暗証」で、納税に使うことはないようです。このカード、電子証明になっていまして、PCにカードリーダで接続して、「確かに本人が申告を行っている通信である」という証明の役割を果たします。ちなみに、役所の方に「この電子証明書の発行料金は、経費扱いになりますか?」と冗談交じりに聞いてみたら、「難しいでしょうねえ(笑)」だそうです。

次に、家電店で「カードリーダ」を買いました。こちらは、e-tax対応でいくつかの商品が出ているのですが、私はUSB接続のカードリーダを3,000円弱で購入しました。多分、このカードリーダーを使うのはこのe-tax申告のときだけでしょう。また、今年は家族もe-taxで申告をするということで、このカードリーダは家族全員で使いまわしました。

そして、いよいよWindows PCにカードリーダをつなげ、電子証明書を差し込んで、役所でもらってきた電子証明のソフトCD-ROMのインストールから始まります。が、SunのJavaが必要なので、多くの方は、まずそれをダウンロード・インストールすることからスタートです。ちなみに、よく調べていないんですけれども、Linuxではe-tax申告は難しそうです(いや、どうも出来なさそうな気がします)。

次に、「e-tax申告を始めますよ」と、e-taxに知らせます。e-tax 国税電子申告・納税システム トップページにアクセスして、開始届出を行います。ここで、16桁の利用者番号と、自分で任意に決められるパスワードを設定します。ここまでが、e-tax申告を行う準備です。

そちらが終わると、いよいよ申告の書類を作って送信です。こちらは、
(1)e-taxソフトウェアで申告書類を作成・送信する
(2)e-tax 国税電子申告・納税システム トップページのホームページにアクセスして、ブラウザ上で申告書類を作成・送信する
の2つのやり方があります。基本的に、この操作は「次へ」「次へ」で、控除額や課税額などの計算も自動で行ってくれますので、どちらの方法でも、操作は難しくないのですが、大事なのは先ほどの「利用者番号とそのパスワード」です。パスワードを間違えないように。また、書類を作ること自体は難しくないですが、科目などは納税申告の通りですから、よく見て確認して、適当に数字を入れないようにしてください。

※e-taxソフトウェアを使用する際は、税率や控除額などを最新の税制にするために、アップデートを必ず忘れないように!これは毎年必要です。

※ブラウザで書類を作っているときには、ポップアップで画面が表示されるので、「ポップアップブロックを解除すること」、それと、タブブラウザ(IE7など)で沢山のタブを同時に開いている状態だと、ポップアップ画面が閉じられたときに、前の画面(申告書のベース画面)を見失うことがあります。そのときは、「あっ!入力が全部消えた!?」なんて騒がず、タブをひとつづつ確認してください。

さて、入力が終わったら、入力内容を保存して、「送信」します。申告書類を保存するだけではなくて、きちんと「送信」までを行ってください。この辺の流れは、上で述べたポップアップウィンドウのせいで、自分が何をしている流れの最中なのかが判りづらくなりますので、ご注意。

さて、送信が終われば完了ですが、その際には先のe-taxトップページから受付確認(ログイン)を行って、「自分が何が税務署に届けて・どういう状態なのか」を確認してください。通常、「開始届出」や「所得税申告」など、いくつかの提出項目があるはずです。「お知らせ」なんていうメニューもあります。税金徴収システムのe-taxに積極的にログインしてお知らせを確認しようという向きもないでしょうけれども…もし、控除や税金が戻ってくるなどの点が気になる方は、たまにログインしてもいいかもしれません。

2007年・2008年のe-tax申告(つまり今回ですな)に限り、5,000円の控除が受けられます。この控除は申告書類作成時に自分でチェックするのですが、お忘れなく。普通の状態だと、チェックが入っていませんので。

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このe-taxの利用率、昨年度は3%程度(※役所の人の話)だったそうですが、今年は多くなるのではないでしょうか。添付書類を同梱せずに済む点など利便性は高いですし、(これは私に限ってかもしれませんが)こういう新しいもの好きな人にとっては、受け入れられやすいシステムかもしれません。しかし、今までのやり方を手間を掛けてまで変えたくない人、住基の信頼性、納税ソフトやデータを入れたPCのセキュリティを心配する人など、e-taxを使わない人も多かったんじゃないでしょうか。

例えば、1年に1度しか使わない長い16桁の利用者番号やパスワードは、マイドキュメントの「確定申告2007年度」フォルダなんかに「利用者番号とパスワード.txt」なんて保存しておかないと忘れちゃいますし(※しかし!パスワードなどに関しては、こういう事をしないで、紙に書いて別の場所にしまっておくのが情報保護です。パスワード漏洩などは、ウィルスなどによるキーロガーやネットワークのハッキングだけじゃありません。ユーザー名とパスワードをブラウザに覚えさせたり、会社のPCにポストイットでユーザー名とパスワードを貼り付けるなどもってのほか)、ってことは、マイドキュメントに暗号化でも掛けておかないと、誰かがPCを触って見ようと思えば見れてしまいますし、保存した納税データは通常の.xmlなので、それこそ納税額も素で見れますし。そういう点では、データ保護の観点を重視して、データの暗号化はソフトウェアとして持たせたほうがいいのではないかなと思いました。

2008年06月09日

「危機の宰相」を読んで

この休日でしたが、部屋の片隅に「危機の宰相」と言う本が積んであるのを見つけました。沢木耕太郎さんの書かれた本で、どうも読まずに放っておいてあったらしいので、休みを利用して読むことにしました。

沢木耕太郎さんといえば、本のヒット・ドラマによって世代を超えて読み手を惹きつけた「深夜特急」が有名で、多くの方はこの作品と結びついてその名を知っているのではないかと思います。そして、おそらく漠然と、旅とスポーツが得手のルポライターやジャーナリストとしての側面を思い描くかもしれません。しかし、この本は、1960年代前半に首相を務めた「池田勇人」と主たる政策「所得倍増」について、その所得倍増計画が如何にして・池田勇人を中心とした、どのような人物によって出来上がっていったのかを追っていく、ドキュメンタリー調の内容です。

内容を追ってみると、池田をはじめ、そのブレーンとして存在した男達の来歴やエピソードを描くことにかなりの稿が費やされ、池田勇人その人・宏池会を切り盛りした田村敏雄・経済学者の下村治の三人を、「出世レースにうまく乗れなかった“敗者”」として位置付けています。その後には、奇しくも「三人の敗者」が邂逅することで所得倍増計画が生まれ、それを掲げる池田総理が誕生する過程が描かれてゆきます。所得が増える=企業負担が増えることを嫌う財界からの反発(※今も昔も変わりませんね)や、官僚の安定志向によって生理的にも受け容れられなかった「所得倍増」。その鬼門をスローガンにした経済成長政策によって日本の高度経済成長が始まり、それが国民にとっても「当たり前」になっていく時代。「危機の宰相」は、沢木耕太郎さんの緻密な取材と、その膨大な材料を整理する能力によって、主題の背景である当時の日本経済全体の姿をも描き出しています。

ざっとこんな感じなので、政治経済や内容に興味のある方は実際に読んでいただくとして、2つほど不思議に思った事がありました。ひとつは「随分と若い文章だな?」と思ったこと、もう一つは、途中に見え隠れする作者(沢木)の考えや疑問が披見される度に「古臭い・違和感がある」と感じたことでした。最も、この疑問は本文の読了後に氷解しました。手元にあるこの本の刊行は2006年、当然その前年くらいに書かれているだろうと思っていたのですが、初出は文藝春秋に1977年に掲載された文章だったのです。文章の中に「熱気・熱に浮かされたような」若さを感じたのは、沢木耕太郎さんが30歳という若い時期に書かれた文章であるからだろう事、加えて、雑誌の掲載時に一ヶ月半という非常に短い期間で二百五十枚もの原稿を書いたという、熱中と勢いがあったであろうこと。そして古臭いのは、1977年時点の日本経済観と今の経済観なら、とてつもなく大きな隔たりがあって当然だからです。

ところで、「危機の宰相」の冒頭と末尾は、下村治へのインタビュー内容になっています(※沢木耕太郎さんの構成力が光っています)。池田首相当時に「高度経済成長」を持論としていた下村が、このインタビュー時には既に「日本経済のゼロ成長」を基調とした見方を持っていたことが書かれています。下村は経済成長=適正な価格で手に入る原油が必須であるという認識を持っていました。高度経済成長下の産業発展を見ていれば、当然と言えます。これは当時に限らず、今だってそうですね。それが、オイルショックによってどうなるかわからなくなってしまったことも、ゼロ成長論の論拠にあるようでした。

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本を読み終えて、その時点から現在までの経済を見てみると、1980年代後半から90年代始めの「バブル景気」は、プラザ合意から始まる為替と土地投機による金融経済が主導の景気加速でした。その後、失われた十年を経て現在があります。このあたりから、経済は、実体経済よりもむしろ金融経済が大きな影響を与えるようになっています。また、1960年代当時は「安定雇用」が経済政策上の大命題でしたが、それも就職氷河期・派遣雇用に代表されるように、現在の実相は不安定です。国民は変わらず熱やブームに浮かされやすい(※もちろん、持ち上げるのも地面に叩きつけるのもその時々)ですが、その時その時を凌いでいかなくてはならない。

もし現在、「所得倍増論」を唱える政治家がいたら、きっとみんなが腹を抱えて笑うでしょう。給料2倍で物価は5倍ですか(笑)とか、ハイパーインフレで通貨危機(笑)など、誰もが想像できると思います。多くの人・取りわけ30代の若い世代の認識は、所得の向上に寄与すると思いきや実態は企業都合の成果主義にうんざりしている筈で、むしろ安定を志向しているのではないかと思えますし、日本国のシステム下で生活している以上、「自己責任」で突き放されてしまうことには、大きな不安があると思います。

また、金融のグローバル化が亢進したことで、投機によって各国の経済が左右される状況にもなりました。今の原油価格は1バーレルあたり$140近くまで高騰しています。下村がオイルショックを経て1970?80年代に考えていたよりも、複雑で広範囲にわたる要素が経済に影響している現在、政府による経済政策の策定はもとより、企業経営も相当に頭を絞らなくてはならないし、なにより仕事をしたり生活をする我々が物価や家計を浮かれて考えているわけにならなくなっています。それでも、働く人や居酒屋で飲んでいる人、色々な人を見ると頑張っているしタフだなと思います(もちろん楽な時代ではないですから楽観的ではなく、民衆っていつの時代もやっぱり一番強いのかもしれないという思いです)。

下村治が予見していたゼロ成長に近い現在ですが、下村が考えもしなかった景気の上昇と下降の時代を経て、下村が考えもしなかったファクターが経済に入り込んできています。経済は生き物で、条件や状況にあわせて動いていくものですから、2008年の現在こそ、この稿で取り上げた「危機の宰相」は、一読の価値があると思います。経済学の本ではありませんから、「深夜特急」を知っている方なら、構えずに読んでみてはいかがでしょうか(※長いこと放ったらかして読んでなかった私が言うのも変ですけどね)。

2008年08月06日

Google StreetView 見ました

日本語のGoogleマップでリリースされたストリートビューですが、さっそく見てみました。

当方としては、気になるのはやっぱり技術面です。どうやってやってるんだろうと思いまして、ぱっと考えてみました。まず、6台のカメラを用意して、正立方体の外側の法線ベクトルにカメラをセットします。サイコロの各面の真ん中に、広角のカメラがある・とかんがえればいいでしょう。それで、車を走らせながら、一定の距離間隔で(ないしは交差点などの特殊なポイントにおいて)シャッターを切ります。その各面に撮影されたデータにパースペクティブをつけて、Flashで各面をつなげれば出来上がり…ではないでしょうか。全部、推測ですけれども、これが最もコストが低いと思います。

当方は、昔からゲームなどの「街の表現」が大好きで、車のゲームの背景・町並みとか、2次元のときは多重スクロールでの表現、古くはVRMLでのウォークスルー、ポリゴンの表現コストが下がってからは、街に関しては表現力が上がったことを素直に面白がっています。その感覚に近いものがありますので、「ぱっと見、面白い試み」と、まずは感じます。

当方は、著名な建築物などを見て、「おお、すげえ!」などと楽しんでいたのですが、多くの人のストリートビューの楽しみ方は、「いかに面白いショットを見つけられるか」にあるようです。例えば、自分の家の部屋の窓・たまたま撮影されたときに面白いポーズをしている人・撮影しているときの車を見つめている少年・風俗街や歓楽街周辺や施設の出入り口など、みなさん色々と面白そうな写真を発見・報告をして「遊んでいる」ようです。

こういった興味の方向からもわかるように、このストリートビューは、プライバシーという問題と切り離して考えることは出来ません。これまでにも、ライブカメラや風景写真などがネットで公開されていましたが、それらの情報は土地所有者の主体管理下に置かれていること、被写体(場所・シーン)は、プライバシーの公開に同意できる・例えば、情報発信者自身の部屋であること、ないしは公共性が著しく高い(=駅や公園など、人の出入りが激しく居住空間などではない)場所であることが、暗黙の大前提であるように思います。

ネットを離れたケースで考えてみましょう。道路に立っている人が、あなたの家の中を凝視していたとします(見えるかどうかは別として)。この場合、「いや、この道路は公共の場所だ。俺は、そこに立っていて、たまたまそっちを向いていただけだ」と言っても、それが問題に発展することは容易に想像できます。とある個人が、一市民である、あなたの家の写真を道路から撮って、「誰某の家」とインターネットで公開することは、問題があると考えられます。肖像権に関しても、「公人」「私人」は、区別がなされています。

これまでのGoogleマップよりもプライバシーが問題になりそうなのは、このストリートビューがあまりにも細かく鮮明な、道路以外(道路は公道でパブリックなものですが、そこを一つ超えた個人の敷地内などは、パブリックな場所ではありません)の周辺状況を持っていること、更に加えて言うなら、情報を元にした検索エンジンや広告宣伝事業を行っている、情報を牛耳って自在に操る企業「Google」によってデータが管理されていることでしょう。

ストリートビューのサービスは、プライバシーの問題において、海外では裁判に発展する事態にもなっています。Googleの主張としては、「衛星画像技術においても完全なプライバシーは存在しない」(参考:Google幹部の自宅をプライバシー保護団体がさらしものに)という見解?や、同記事によれば、Google社ビント・サーフ氏の「プライバシーなどは存在しない」といった主旨の発言があり、自社の技術とサービスに問題はなく、受け入れられる自信があることを訴えています。

そもそも、Googleのサービスには、研究開発の結果がそのままサービスに供されているような内容のものが多くあり、それが何かの先進性を感じさせたりするのですが、今回のストリートビューに関してはどうでしょうか。GoogleMapの開発チームが面白がるあまり、なにかの一線を踏み越えてしまっているのかもしれません。ぼかしを入れたからいいだろうとか、今や誰でも写真を撮ってネットで公開できる時代なんだという主張は、インターネットだけを背景にした強弁ではないでしょうか?

技術面で言えば、GoogleMap開発チームの感じているであろう面白さは理解できます。但し、それほど技術開発のコストが掛かっているわけでもなく、単に写真をつなげただけに過ぎません。仮に、写真をアニメ調にデフォルメして加工表示する技術を開発しているとか、画像から建物の頂点を取り出してポリゴンに変換して表示データの基礎にするような技術だったら、それはすごいですが、ストリートビューは「写真撮影の取材におけるコスト」だけが突出している状態でしょう。これが、例えばX3Dなどで表現されていたら、うわーGoogleすげぇ!と、拍手を送りたくなるのですが、このストリートビューは、写真をそのまま使うという、技術としてあまりにも単純で簡単すぎるお陰で、リスクや問題を内包しているように思えるのです。今後に注目ですね。

追記:画面データをどのように送っているかに興味があったので、調べてみました。360°カメラを使用しているのでは?という見解があったのですが、画面をみていると、360°カメラを使用しているにしては、不自然な画像のつながりが多い。それで、画像データを引っ張り出してみると、普通のパースを持ったカメラで撮影した画像を基本データに持っていることは間違いなさそうで、それにパースペクティブを与えて画面をつないでいるらしい感じがしました(この処理をリアルタイムでやっているかどうかは不明ですが、予めデータを作ってあるような気がします)。これは、歩道部分など地表の部分と、それより上のY座標での画像の接合がおかしいことなどでわかります。360°カメラなら、全体を一枚に収めることが出来るので、このような接合のおかしさは出ません(※解像度のぼやけなどは、画像の周辺部で起きます)。詳しく調べたい方は、GoogleMapのウェブサイト maps.google.co.jp/からストリートビューを表示する/mapfiles/cb/googlepano.*.swfから、画像として呼び出される/cbk?output=...を調べてみてください。

2008年08月07日

Google Streetview ネットでの評判など

前回に引き続き、ストリートビューについてです。だいぶ、ネット上では色々な意見が出てまいりました。大きく分けて、肯定と否定があります。意識としての両者をまとめてみました。

肯定の意見では、何よりも「面白い」という意見がほとんどです。これは、GoogleMapチームが感じている面白さと同様ですね。普段、行った事の無い場所を写真でぐりぐり動かして見ることが出来る。普段ならじっくり見ることの出来ないものを見ることが出来る。「便利ではないか」という意見もあります。こちらは、これから訪問する場所の雰囲気や地形を予め知っておきたい・迷いたくないなど、地図を更に発展させた使い方や、またはカーナビゲーションの延長線上にあるのかもしれません。

否定の意見では、やはりプライバシー問題に根付いている意見が多くあります。プライバシーが推測できる情報を持った画像を、全世界の誰もが見られる状態に自主的に公開したいと思ってはいないし、勝手に撮影して削除は要連絡とは、情報管理の立場としてどうなのか、という論調のようです。犯罪に結びつくのではないかという意見もありました。

当方が最初に持った印象では、「このサービスは、日本には向いていないな」と思いました。日本に「他所様(よそさま)」という言葉があります。他人を尊重して(または関与することを良しとせず)、興味を持ったり介入をしない。人をジロジロ見ることは失礼である。他人の財布の中身をチラリと覗くことは、恥ずかしい行為である。これは、「法律」という取り決めとは関係なく、「意識の持ち方」です。例えば、偶然に見てはならないものが見える状況にあったとして、それがどんなに見たいものであっても、目をそむけて見ない。見てしまったらハッと目を伏せ、少なくとも表面上は知らん顔をするのが、生き方・行き方である。それは、「他者からどう見られるのか」という、社会の中で自分が持っている距離感に繋がっているものです。「ガンをつける」という言葉がありますが、これも、そういった距離感から存在する言葉かもしれません。

しかし反面、そういった距離の取り方や気遣いからストレスも生じるのか、一つ間違えるとエスカレートしてしまったり、他人のゴシップに対して異常なほどに興味を持つのも、また人の姿であるように思います。自分の私生活を覗かれて剥き出しにされるのは真っ平御免だが、他人の私生活は根こそぎ曝け出して知りたい。ですから、噂話は誰しも大好きで、有名人のゴシップを扱うワイドショーや写真週刊誌は、非常に人気があります。そういう興味を考えれば、面白い何かを探してストリートビューを閲覧する、これは至極当然だと思います。しかも、ネットのこちら側にそれを咎める第三者はいません。

今、ストリートビューは、この微妙なバランスの上にあります。記号である「町名・番地」「地図」よりも、「写真」は、そのままの姿を伝えるために、より多くの興味をひきつけます。「現場に行けば誰でも見られる」という考え方もありますが、現場に行くにはコストが掛かります。ですから本来は、この「興味を惹きつける」点が、ストリートビューが考えている将来的なビジネスモデルのコアになっているのかもしれません。

しかしながら、どうみても建物の関係者と考えられる人物の写真も掲載されています。おそらく、その地域に詳しい人間から面白い人物や建築物の絞込み?が進み、「ストリートビューまとめサイト」として、それらがどんどん広まっていくと考えられます。もし仮に・ですが、ストリートビューとリンクした「この写真に写っている人、もしかしたら○○の××氏と△△嬢じゃないか?」という情報が広まってしまったら、××さんと△△さんは、実際には全く別人だったとしても、ゴシップの主役に躍り出てしまいます。このように、写真という“食いつきの良い情報”と、誤った情報とが結び付けられたらどうするか?などといった客観性の存在が、ストリートビューのこれからに影響してくると思います。

Googleは、ストリートビューに関して「人のやったことは取り返しがつかない」と発言しました。当方としては、「まとめサイト」「ストリートビューにまつわる情報サイト」が出来たらどうなるか?が気になります。そのとき、なにが起こるのか。Googleは、自分達の発言を、そのまま自分達が苦々しく噛み締める状況に追い込まれるかもしれません。最近のGoogleの動き(ニュース・発言・人材流出)を見ていると、どうもかつての自由さとは異なった方向を見ているような気がしてなりません。

当方の興味だけでいうのであれば、GoogleMapに付随する「施設情報」として、ストリートビューの取材を進めて欲しかったと思っています。もしストリートビューの情報が「動物園・水族館など館内の案内」「河川敷」「登山路」「(有料の)自然公園」などだったら、間違いなくハマりますね。路地よりも、よほど珍しい風景が見られるわけですし、実際に行ってみたいという需要を喚起するかもしれないですから、ビジネスにも結び付けやすいのではないでしょうか。

最後に、「げんしけん」から、春日部姐さんのセリフを引用して締めといたします。「世の中、便利になればなるほど人間ダメになる!お前は…」

2008年09月17日

WallSt.発の金融ショックを見ながら…

かつて、暗黒の日曜日(Black Monday)と呼ばれた、ニューヨーク市場に端を発した経済危機がありました。本質的な原因はどこに潜んでいたのか?金融経済は実体経済と共存する形としてどうあるべきなのか?その答えは誰にもわからないまま、金融経済では規制緩和と投資(投機)ブームによって様々な金融商品が生みだされ、より複雑に・より投機的な性格を増していき、ミニ株・FX取引など、一般の人たちも投資という形で金融市場へ参加しやすくなった時代になりました。投機熱に支えられて、株式による資金調達の容易さは高まり、新興市場と呼ばれるマーケットには、IT関連を筆頭に雨後の筍のように多くの企業が上場を果たしました。企業買収においても、1987年当時のM&A手法よりも更に資金調達が容易となりました。買収後の相手先資産を担保にしたLBO(レバレッジド・バイ・アウト)による資金調達も一般的になり、時間外取引を活用(?)した株式の大量取得も記憶に新しいところです(※この取引に資金を提供した企業は、一般の方にとっても今週からだいぶ有名になりました。ついでに、資金を調達した企業の元社長のインタビューを某所で読みましたが、当方の印象では、ITについての捉え方も現状認識も、「いつの話?」といった感じでした)。

あれから20年以上経った今週。再び、ニューヨークのウォールストリートからショックが起こりました。CNBCによる記事はBloody Sunday: Wall Street Is Hit by Financial Tsunamiと題が付けられ、NYSEから全世界のマーケットに不安が広がりました(広がっている最中です)。当方も、CNBCを一日見ていました(※以前にも書きましたが、当方は金融商品は一切所有しておりません)。しかし、土日をはさんでJPNUSDの幅が4円近くも動いたのを見たのは、始めてかもしれません。そして、他の企業からも信用不安が発せられそうな情報も流れています。この状況にあって、あえて現状をくだくだしく説明したり分析するのは、当方の仕事ではありませんし、むしろ当方よりも詳しい方のほうが多いでしょう。

ただ、金融経済にこういったショックが与えられたのは、決して悪いだけの側面しかないとは思っていません。「お金ってそもそもなんなんだろう?」「経済のグローバリゼーションって、なんなんだろう?」「グローバル競争は競争だから勝ち負けがあるけど、最後の勝者ってどういう立ち位置なんだろう」そういった疑問を、色々な人が、色々な立場で考えるきっかけになるでしょうね。

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個人的な経済活動への感覚では、モノの大量生産・大量消費が中心産業の時代から、証券化された商品を担保に重ねて利益を求めていく金融・投機が世界を動かす流れとなりましたが、今後は、もっと無形の・例えば人が人に対するサービスの事業価値が注目されるポイントになると考えています。うんざりする国民年金問題・後を絶たない食品偽装などによって、サービスの本質やあり方が見直され始めてきている状況もあって、サービスを受ける側の意識が変わってきています。

あんまりな状態の介護事業・企業の押し付け気味なITサービスなど、そういった事業が見直されて、高度な内容と満足度の高い事業が選択されていくと思われます。同時に、貨幣の流動性が、今よりも少しだけ低くなるかもしれない・とも思っています。経済成長に右肩上がりのトレンドが当たり前ではなくなる時代が到来しつつある・という見方です。

当方の仕事も、人へのサービスを提供する側面が大きく、ITコンサルタントとして事案に関わる以外でも、電話でちょっと問い合わせを受ける・見解を求められる・他企業の提案に対する効果や根拠を確認して欲しいなど、直接の事案ではない「お問い合わせ・お付き合い」が、コンサルティングの付加価値になっています(※もっとも、大手のコンサルティング企業に気軽な電話はしづらいですからね)。

なんかの漫画か本かのうろ覚えですが、明治期?江戸期?に日本を訪れた外人さんが人力車を見て、「人を乗せて人が引っ張るなんて、なんてひどい話だ(※産業革命の優越や、奴隷のイメージと繋がるのでしょう)」と言ったという逸話があったように思いますが、サービスに見合う対価が成立していれば、ひどくもなんともありません。むしろ、人力車には色々な付加価値も付けられますし、観光地ではサービス形態として今でも残っています。お稽古事のお師匠さんや、家まで来て回ってくれる髪結いなど、ピンハネする元締めや対応マニュアル無しに、人が人に対してきちんとした内容でサービスを行う仕事は、かつての日本ではそれほど珍しくないように思えます。そして、いいものにきちんと対価を支払う。経済構造としては矮小で古臭くて、経済学や金融工学などの立場で見ればバカらしいにも程があるんでしょうけれども、暮らしているのは昔も今も同じ「人間」なわけでして。

当方は、日本は遥か中世の昔から、モノ作りやサービスに関して長けていると思うんです。もし、国際競争力への圧迫感や、経済の進歩によってどんどん変わっていくものがあるとしたら、自己責任(※=暗に、自分さえ良ければいい・とにかく自分だけという含みもあります)の肥大・何よりも利益を重視してしまう傾向、そういった点かもしれませんね。

今、ユーロとドルが嫌気されて円が急騰しています。このことが、日本の金融経済にどういった影響を与えるのか?金融経済が軸で経済が動いていくのか、それとも…?1年後の経済はどうなっていて、世の中はどうなっているのでしょうか。

2008年11月07日

最近、ネットが嫌になった(I hate the internet)

当方がインターネットを利用し始めてからは20年弱、多くの方がその存在を知ってからは、もう10年くらいになりますでしょうか。今、皆さんはどんなことにネットを使っていますか?そして、ネットからどれだけの利便さを得て、どれだけの困ったことを感じて、どんな印象をお持ちですか?当方が同じ事を問いかけられたとしたら、どう答えるんだろうと考えてみるつもりになりました。

初期のインターネットはエキサイティングでした。技術者や新しいものに飛びつく若いGEEKたちは、コミュニケーションや主に技術情報を、カオスの中で楽しんでいました。もちろん、変わり者達の集まりですから、中には喧嘩も争いも、自己主張のぶつかり合いもありましたが、それらはコミュニティの中で調整が行われ(※その中のみでしか調整せざるを得ないからです)、コミュニティは活性の状態にありました。そこには現実の社会の有象無象が持ち込まれることなく、良好なカオス状態が保たれていたように思います。それに、コミュニティで語ることやアイディアは、いくらでも出てきそうだった。それは純粋な興味から生まれてくる、ワクワクするような内容ばかりでした。

現在のインターネットは、情報収集という目的にとっては便利になりました。しかし反面、マスメディア化し、主にビジネスフィールドとして機能し、きちんと管理されています。そこには、もう胸が広がるような広大さは感じられません。むしろ、息苦しささえ感じます。ここ数年でセカンドなライフを体験できる仮想3D空間がいくつか作られましたが、いずれも今にして思えば、今のインターネットそのものの縮図を先取りしていたのかもしれません。

情報伝達手段としてのインターネットに関しては、当方は今も中継やニュース、意見の開陳などにおいて非常に便利だと思っています。しかし、狭苦しさのキーワード、日本のウェブサービスにおいて特に感じるものには、情報の中央集積化・ソーシャルな情報の共有・同じサービスの氾濫、とりあえずパッと出てくるだけで、そのように思い浮かべてしまいます。今のインターネットサービスは、どんなに新しいものでも「これを使ってビジネスバリューを作ろう」という押し付けになってきているような感じを受けます。ですが、所詮はネットで出来ることなんかたかが知れていますから、飽きられるのも陳腐化するのも非常に速い。サービスを提供する側も、尻に火が着いたように提供するものを、常住必死で探しているのかもしれません。

情報そのものの取得に乗り遅れるのではないかという焦りで無闇に検索しまくったり、リンクを飛び回って時間を消費したり、わざわざ余計なことにかかずらって気分の悪い思いをしなくてもいいんですが、かつては自由な空間だったインターネットが、今は現実社会と同じように踊らされる為の場に思えるのは、妙な画一化を感じているからかもしれません。ブログが流行っているといえばブログが必須という観念を、CMSと騒ぎ出せばビジネスにはCMSが必須だと迫る。そうでなくては遅れているような・間違っているような不安心理に追い込まれれば、もう型にきっちりと嵌っています。なにやら利用しているのではなく、利用させられている感じなんですが、それは現実社会にそういう側面があるように、インターネットもこなれて(?)自然にそういう形になってきたのでしょうか。

本質的に多様性に富むはずの個人も、その狭苦しさの中で、更に狭隘なカテゴリを中心に情報発信を行っているように思えます(※ネットでやり取りできる情報には、PC・携帯・ネットと相性のいいものが選好されるからだと思います)。カオスというよりもむしろ放任で成立している2ちゃんねるには、ある種のコミュニティが何年も変わらず続いているようです。しかし、2ちゃんねるを専用ブラウザで見るような2ちゃんねらーは、もしかしたらインターネットのみならず2ちゃんねるにさえもフィールドの狭さを感じているかもしれません。

インターネットのような広い空間では、小さなグループが色々なベクトルに向かって活発に動いている状態がいいのですが、でっかい勝ち組が他を蹴落としていく状態で、情報の過剰な集積・共有と利用し合い・制御の強まりが行われれば、硬直化と平板化を招くと同時に、伸びやかさと正反対の問題を噴出させるでしょう。ネットサーフィンなんていう、自分の気ままにあちこち飛んで、飽きたらやめて本でも読んで・のように自分でネットへの向き合い方を作れた時代は、インパクくらいの時期が末期だったのかもしれません。そして、インターネットは、今後益々ビジネスフィールドとしての立場を強めていくでしょう。そこは、ビジネスの意図によって動かされるフィールドです。そこに参加することは、大型ショッピングモールや商業施設で過ごすのと同じように楽しいのかもしれませんが、散策や山登り・ハイキングのような、自分で行う楽しさ探しとはちょっと違うのでしょう。

今、当方は「閉ざされたネットワーク環境」を考えています。「閉ざされた」と言っても、招待で中途半端に開かれて馴れ合いで機能しているSNS、ポータルに吸い寄せられた人がなんとなく集まっているチャットルーム等とは違います。昔のパソコン通信のような環境です。検索エンジンのロボットが入り込んで引用を作ることも出来ない、まったく興味の無い人が訪れることも探し出してきて訪れることもない、暗黙のルールをもって自律できる人たちによって特定の話題が扱えるコミュニティです。こう書くと閉鎖的な印象や選民思想のような嫌なイメージを受けるかもしれませんが、そういう雰囲気よりも、むしろ昔の秋葉原の電気部品ショップや、大人だけが集まる繁華街の外れの辺鄙な場所にあるバーのようなイメージを想起しています。閉鎖的で自律的であるからこそ、安心と気楽さ・話の内容の深まりが期待できる気がします。誰でも無難に楽しめる開かれたインターネットはテレビと同じように楽しむ。そして、それ以外の閉ざされた場では独自性と自由な空気を求める。こんな感じです。

もちろん、インターネットがつまらない・昔と比べて面白くなくなったなんていっているのは、単に年を重ねた当方が対応を拒んでいる可能性もありますので、状況を再度検討してみたり、世代やジェンダーを跨いで広く色々な意見を聞いてみようと思っています。ただ、外からは絶対に見ることの出来ない通信機能とインターフェースを持ったパッケージは作ってみたいと思っています。自律的なコミュニティの意見交換や情報交換の場に提供でも出来ればなあ…と思っていますが、いつになったら作れることやらわかりません。

2013年01月17日

SSDで不良ブロックが増えた

昨年の夏くらいに、安かったのでOCZ Agility3(64GB)を買いました。安価だったので買ってみたものの、ネット上であまり評判が良くないようなので、サブPCのシステムとして使用していました。現在600時間くらい通電しているようですが、先日、Crystal Disk Infoをみたら、不良ブロックが増えていました。購入時には不良セクタはゼロだったのに大丈夫かな…と思いHDTuneで不良セクタの走査チェックをしてみたところ、赤いブロックが転々と…読めないセクタが出るわ出るわ。ハッシュチェックで全ファイルをチェックしたところ、何度リトライしても読めないファイルがあります。

これ、書き込んでるときには正常書き込めたのだけれど、時間が経つうち(またはウェアレベリングの移動時などに)に、当該セクタ(ブロック)が壊れたっていうことですよね。SSDのセクタ管理の仕組みは良くわからないのですが、もしハードディスクのようにECC(エラー訂正)領域も連続しているならば、一緒に壊れてしまえばいかなる強固な訂正も無意味でしょうから、ファイルが読めなくなるのもわかります。

しかし、大して使ってもいないし、TempやPageFileはRAMディスクにしてあるので書き換えもしていないし、なんで不良ブロックが増えているのだろう?という疑問がありました。Waer Range Delta の値がゼロなので、ウェアレベリングの移動はまだ行われておらず、同じブロックに保持されたままでしょうから、そのブロックがいつのまにか壊れたのではないかと推測しました。

同時期に買ったCrucial M4(128MB)には、買ってきた当初から工場出荷時の不良ブロック数がある程度ありましたが、それ以降はまったく不良セクタは出ていません。Agility3とM4の品質が段違いという可能性もなくはないですが、M4には『工場出荷時の不良ブロック数』項目があるということは…と、少し考えてみました。

ここからは、もしかしたら・の話ですが、NAND型フラッシュメモリには、シリコンそもそもの品質や特徴・安い製品で使用するシリコン部位などの理由によって、トンネル酸化膜が劣化していくとかのレベル以前に、書き換えに何回も耐えられない・電荷が保てないなどの「歩留まりとしての不良」に相当する部分があるのではないだろうか…?と、考えてみました。技術的な裏づけも何も無いのですが、そこで思ったのが、

  • Crucialは製品が完成した際に、何度かNAND型フラッシュメモリを走査して、弱い部分を予め洗い出してから出荷しているのではないだろうか?
  • OCZは、もしかしたら製品完成時のチェックが少ない?ために、当方ではたいして使っていないうちに不良が出てきたのでは…
という仮説です。

※この仮説は、あくまでも当方の思い付きにしか過ぎません。SSDの製造過程や技術とは関係ありません。

ということは、最初にがっつりと全体に負荷を掛けてみれば、もしかしたら読み書き保持に弱いブロックはさっさと代替され、その後しばらくは安心して使えるかも知れない…と、Agility3のファームウェアを2.25に更新するついでに、不良ブロックの代替と負荷を与えるために、QuickTest / ExtendTest/ ZeroFill を繰り返し掛け、全領域を何度か走査してみました。その過程で不良ブロックはそれ以上増加せず、HDTuneでチェックしても、不良ブロックが代替領域に置き換えられたようで、全てのセクタが緑色になりました。

CrucialのM4で工場出荷時の不良ブロック数が示されているのは、もしかしたら、Crucialは製造直後での不良部分はあって当然と認識していて、だからこそ品質管理で(何回か)全検査をして、その結果をS.M.A.R.T.に残しているのかな…とほのかに思いました。本当のところはわからないですが。

SSDは、出てきた当初に考えられていた以上に書き換え回数がタフだという話もありますので、SSDを買ってきてすぐにディスク検査を念入りにやるのも意味があるかもしれません。当方としては、今後もしSSDを買うことがあれば、購入後すぐにデータを移さず、自分だけのおまじないのつもりで、最初に念入りにテストをしようと思った次第です。なにしろ、買ってきて移動したデータがいつのまにか読めなくなってお手上げ・は困りますからね。どんなおまじないでもやりたくなります。

※再び繰り返しますが、実際に効果があるかどうかは証明できません。安心した次の日に読み込めなくなるブロックが出るかもしれないです。

SSDは高速でいいのですが、上のような経験をしてしまうと、データを安心して読み書き出来る「信頼性」に不安を持ってしまいますね。構造上いつかは壊れるのが当然としても、その「いつか」が今日明日だと厳しいです。SSDが販売され始めて何年か経ちますが、SSDでデータが読めなくなったケースはどのくらいあるのでしょうか。個人的には、エラー訂正の強化・内部での二重化・三重化のように進化する方向もあってもいいように思える経験でした。

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にしても、SandForce SF-2281は不思議です。データを圧縮しているのですが、書き込みデータを減らして時間を短縮するためなんだろうけれど、速度にムラが出るのはわかりきっているし(実際に高速ではない)、圧縮前・伸長後のデータ化けチェックもしなきゃならないだろうし、圧縮したからと言っても使えるシリコン領域を稼げるわけでもないし。

2014年12月29日

部品交換と修理

前回のエントリでは、自分で壊したUSBメモリのUSB3.0コネクタを半田付けしましたが、なぜか今月は機器の不調が多く、なにかと修理を行っていました。

まず、おそらく10年ほど使用しているモデムですが、掃除のために一度ACアダプタをはずしたら、その後は力尽きたかのように電源が入らなくなりました。電話会社に連絡して機器の交換を行いました。

このところ寒さが増してきたせいか、10年以上使い続けているBBR-4MG(v1)というルータのLANに不調が出始めました。LANがしばしば切断されてすぐ接続するという症状なのですが、2年ほど前にも同様の症状が出ていました。そのときは、全てのコンデンサを新品に交換することで直りましたが、今回もおそらく同様の原因による症状と考え、見た感じでは異常がわからなかったもののDC変換部分に使用されている1500μF 6.3Vコンデンサを、予備で持っていたものと交換したら直りました。前回に交換したときは低背タイプのものでしたが、今回の交換品は高さがあってケースにつかえてしまうので、少し傾けざるを得ませんでした。古いBBR-4MG(4HG)では、インダクター(コイル)の隣にある、このコンデンサの劣化に注意したほうがいいかもしれません。

ちなみに当方のBBR-4MGは、コンデンサ交換の他にも改造が施してあります。コントローラが熱くなるのでヒートシンクを貼ってケースに穴を開け、LEDが緑ばかりで面白くないので、POWERにはイルミネーションLEDを、LANには赤青のLEDをつけています。BBR-4MGのLEDはアダプタに入っていて、2色LED(三本足)のものがあるので、取り外すときにやや面倒ですが、交換は難しくありません。2色LEDですが、今どきは10MbpsのLANネットワーク機器もなかなかないですし、10Mbps機器は使わない(光る必要がない)のであれば、普通の2本足のLEDを購入して100Mbps側に取り付けることが出来そうです。電圧を測ってみると3.2v?3.3vくらい来ているようなので、青・紫・白などをあしらったカラフルなLEDによって、接続LANごとにLEDの色を変えるなども出来るかもしれません(※ただし保障もなくなりますし、お勧めしません)。

それから、主に寝所で使っているandroidタブレットのスイッチが壊れて効かなくなったのに加えて、給電しながら使っていたらマイクロUSBコネクタに付けていた充電コードをどこかにぶつけたらしく、壊れて充電が出来なくなりました。タブレットの壊れたボタンは、取りあえずコードを半田付けして引き出し、それを指で接触させることでしのいでいましたが、USBコネクタが壊れたついでにきちんと直すことにしました。「タクトスイッチ」という非常に小さい部品が使われていますが半田付けはそれほど難しくありません。マイクロUSBコネクタは小さいので、取り外しも取り付けも面倒でしたが、無難に交換できました。

10円程度で交換できる部品が駄目になったことで本体を処分するのも勿体ないので、交換が無事に済んでよかったと思います。

※前回のエントリで記した、サーバのストレージをUSBメモリ(SDカード変換)にしてから一ヶ月と少々が経過しました。まめなバックアップと予備部品の確保で備えていますが、不調も不具合も全くありません。なにかあれば経過を記録しようと思っています。

2017年02月22日

平成28年分の確定申告(e-Tax)とマイナンバー

平成28年分(2016年)分の確定申告をe-Taxで終わらせました。例年より早く済ませたのは、下記の理由によるものでした。

(1).マイナンバーカードが必要なのか?
(2).マイナンバーの記載が必要なのか?

テレビのニュースなどでは、例年とおり高橋秀樹さんが登場して確定申告の受付が告知され、『今回の確定申告からマイナンバーの記入が必要となります』と、確定申告にはマイナンバーが必要であるという報道を行っています。

果たして、申告書面へのマイナンバーの記載を行わないと申告書類は提出できないのか。そして、e-Taxにはマイナンバーカードが必須なのか。

まず、マイナンバーカードによる確定申告書類への電子署名について。自身の住民基本台帳カードの期限は2020年までとなっています。ですので、今回はこのカードを使用して電子署名を行うことができます。マイナンバーカードを取得すると、昨年更新したばかりのカード更新料が無駄になってしまいます。

※住民基本台帳カードは今後は発行されませんので、期限が失効する前にマイナンバーカードの取得が必要

次に、申告書面へのマイナンバーの記載義務について。税法上マイナンバーが今後使用されるという条項であり罰則規定はなく、本人から提出が行われる確定申告において必須である理由は特に見当たりません。

ただ、今後はマイナンバーを使用して税金や行政などの公的な処理・勤務先や金融機関におけるマイナンバーの提出などが行われるようになるため、自身のマイナンバーを確認して記載しないと申請や手続きができないと言うことにはなるでしょう。

今回、早めにe-Taxによる申告を行ったのは、上記2点がどうなのかを実際にe-Taxで提出してみて確かめたかったからです(事業主なので申告書Bとなります)。もしe-Taxでの提出が出来なければ、マイナンバーを取り寄せて紙の書面で出すつもりでいました。

結果的に、

(1).住民基本台帳カードで電子署名できた
(2).マイナンバーの記入がなくても、送信前チェックに引っかかることもなく送信できた

となりました。

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マイナンバーのメリットとしては、行政はじめとする情報を取り扱う機関の管理が簡単かつ正確になることがあげられます。入力などの事務処理そのものが簡単になりますし、単なる数字の羅列による検索は非常に簡単&高速で、マイナンバーと紐付けられているデータ(行政が管理しているデータ・金融資産のデータなど)を即時に取り出せます(権限次第ではいくつもの情報を取り出せるはずです)。

例えば…という想定ではありますが、納税状況の不透明さを調査するために、権利を委ねられた国税局の担当官がマイナンバーによって紐付けられている情報を全て取り出して照会することも可能です。

なにしろたった一つの数字であるマイナンバーと組み合わせられる情報は結構なものなので、マイナンバーの漏洩によって個人に不利益がないよう、行政や企業などによるマイナンバー情報の管理には、これまでの個人情報保護と比べ物にならない慎重さが求められると思われます。

悪用例としては、知識のない人を狙った住基ネット漏洩事件のような事例がありました。

そして、マイナンバーを使われる側の我々には、これといったメリットがないと思われます。「書類への記入などが簡単になりますよ」「行政手続きが簡単になりますよ」と言われても、カードを作ったり更新したりする費用も掛かるし、結局のところ足を運ぶ手間や本人確認などについてはこれまでとなんら変わらないでしょう。

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